明日、人事課長に会う。

 

営農指導をするようになってから、しんどい日々が長かった。

自分が何に対してしんどさを感じていたのか、ずっとわからなかった

思い切って仕事を辞める決意をして空っぽにして考えて直した時、少しずつ答えが見えて来たような気がした。

 

私は、新しい環境を何度も経験して来て、適応していく力や学んでいく姿勢は絶やさずにもってきたと思っている。

それでも、この1年、営農指導をやってきて、どうしても慣れることができなかったのは

知識も経験も全くない状態で、現場に飛び込まされて来たからだと思う。

確かに、いくら説明しても、実際に体験したり、自分の目で見て、感じて、習得していくことがいかに大切かは、よくわかる。

だからその考えを否定しようとは思わないし、私がその環境に、その考えに、適応できなかった、というのが結論だと思う。

だけど、私にとって、何の説明もなく調査に行ったり、よくわからない会議に出たり、よくわからない営農組合のところに行って、よくわからない話しを聞いて、よくわからない案内の配布に行くことは、何回も飛び降りろと言われているのと同じ感覚だった。

いつしか、よくわからない指示をされることが怖く、よくわからないまま過ぎていく時間を過ごすために出勤するとこさえ怖くなってしまった。

それでも学ぶ姿勢は絶やしてはいけないと思っていたし、よくわからないなりに適応していこうと努力してきた、はずだった。

だけど、「目的」のよくわからない指示を、どうしたらいいのか「方法」も分からず、頼る人もいない。

そういう日々を過ごしていくうちに、朝、めまいや吐き気で起き上がれなかったり、手が震えてしまうことが増えた。

もちろん、こんな私でも受け入れてくれる方も見えたし、女性だから話しやすかった、頼りやすかったと言ってくださる方が見えたり、新しい知識を身につけて、理解して、農薬や肥料の相談に乗れるようになれたことは、とても嬉しかった。けど、そういう喜びを超えて、この仕事をやり続けること自体が怖くなってしまった。

1年の中でずっとそう感じていたわけではなくて、頑張れるかもしれないと思ったときもあったし、頑張るための手段を考えたこともあったけど、精神的に追いつけなくなってしまった。

 

そんな中、「俺にしか見えない景色がある」と豪語する先輩の話を聞いた。

自分のために、どうしたら仕事が円滑に回るか考えて意見を言う。

周りにどう思われようと信念を貫く姿に、いつしかかつて自分が大切にしていたことを思い出した。

できる人にシワがよるし、やるひとがその分だけ損をする世界だと思う。

口を出せば、全部押し付けられる。そういうことが全部嫌になって、違うんじゃないか、と思っても、口に出さないようになったし、みんな事勿れ主義だから、何も言わない方が楽だから、そうやって過ごして来た。

けど、どこか心の中で、やりづらさを感じている自分がいて、

自分を見失っていたことに気づいた。

 

これから先、今の状態が続くなら、営農指導として仕事を続けていくことはできない。

新しい環境で新しい仕事をすることもできない。

自分にとって最善の選択がなにか、なんて、選択してみないとわからないと思うけど

どうか、いまより生きやすい世界で、自分の力を思う存分発揮できる場所に行けますように。