大学4年間で愛想のいい人になれたはなし

片道2時間半。電車バスを乗り継いで通う大学生活にも慣れてしまい、学食で友達と愚痴を言い合う日々も当たり前。授業なんて半分しか聞いてなくて、なんだかんだ楽しかった学生実験ももう終わってしまった。なんなら、学部4年になって、就活をして、卒検に追われているなんて、この時間の流れの速さを私が1番理解していない。

 

大学生活は日々勉強だった。

 

前半はとにかく人間関係でつらいことばっかりで、変な男に2回も捕まり人間不信になったり先輩とかめんどくさくてサークルすぐやめたりグループになんて属してなかった。

そんな中、誘われて始めたイベントスタッフで出会った人に、散々傷つけられながら他人向けの顔を作ることの大切さを教えてもらった。どれだけ自分が病んでいても悩んでいてもそれを他人に悟られてはいけないのである。私の長期にわたる闇期真っ只中、そのことを身をもって体感し、それから他人の前に出るときはどんなときでも明るく笑顔でいられるようになった。あ、これが愛想がいいということか。いかに自分を作るかということが大切なのかを学んだ。素の自分を見せていいのは信頼できる人の前だけなのだ。そんな当たり前のことが出来なかった。

 

ところで、なんで急にブログなんて書こうと思ったかというと。自己嫌悪に陥って、病んでるときにつぶやいたこと、インスタの投稿、日記、などなどあらゆるものを消していた。時々、昔自分がどんなことを思っていたのかを思い出したい時がある。そんなとき思い出せるツールがないのは、なんかつまらないな、と思った。

就活が終わり大学も終わりを迎えようとしているからこそ、この4年間で積み重ねてきた思いを思い出せるツールとして残しておきたかった。誰に公開するとかでなく、自分のための。

 

無敵の愛想の良さを手に入れた私は、コミュニケーション能力があるね!と言われるようになった。元々団体に属すことが苦手で、コミュニケーションなんてできればとりたくなかった。高校のトラウマで友達は少なく、大学も極力友達を作らなかった。(作らなかったのか?作れなかったのか?)

それなのに、コミュ力があるなんて言われて、まじで自分が人前での私を作れていることを自覚できた。

 

とにかく人と付き合うことで、勘違いをしたり自意識過剰になる自分が嫌だった。相手がどう思っているのか、考えるのがとてもじゃないけど面倒だった。それに、不安だった。自分は嫌われてるのでは…?と考えてしまう自分も面倒だった。だからこそ、極力人と関わるのをやめた。飲みに誘われてもごまかした。旧友に会おうと言われてもめんどくさくて適当に受け流した。信頼できる友達と、彼氏だけいればいいと思ってた。

 

でもそれは違う。やっぱり人と関わることはやめてはいけないのである。というかやめられない。私は、人と話して吸収して、吐き出して浄化して、成長していくタイプなのだと最近気づいた。

 

こんな私を、相手のことをよく考えられる優しい人だと言ってくれる人がいる。信頼してくれる友達や仕事仲間がいる。

人と関わるというのは、本当に難しいことだけど、私自身の良さを確認できる機会でもある。そして傷つきながら、人に優しくなっていくのだと思う。綺麗事かもしれないけど、私はそんな人になりたい。誰かのために何かできる思いやりのある人になりたいと、結構本気で思っているのであった。

 

 

本当は就活について書きたかった。

1年くらい就活した気でいたたった3ヶ月の思いと経験を忘れないために、内定を持っているからこそ、今書き残しておきたいと思っている。

それはまた次回。