たった3ヶ月の就活人生
大学3年の夏、インターンに行った。
私は、他の就活生より意識が高く、そして”使える人材”だと自負していた。
それは決して自意識過剰などではなく、大学生活を送る中で様々なことを経験し、舐められ、罵られ、メンタルズタズタにされながらも、他者に認められてきたからであった。
インターンへ行ったのも、大学の友達が、まだ準備するのは速いと高を括っている中、自分は就活への意識が高いという優越感に浸りたかったからである。当時はそんなこと思っていなかったはずだが、その友人にインターンに行ったことを言えなかったので、つまりそういうことだと思う。
インターンには夏に1社、冬に3社参加した。
どの企業も、就活解禁前にうちに興味を持ってくれる人材は大切にしたいと言っていた。ぜひうちにきてほしいと。馬鹿真面目な私はその言葉を鵜呑みにしていた。わたしは意識高い系だと、内定なんてすぐに出ると本気で思っていた。
大学の就活支援センターが主催する面接講座などというものは正直楽勝だった。履歴書もエントリーシートも、それっぽいことを文章にするのは得意だったので、スラスラ書けた。
3月、就活解禁と同時に説明会の応募やエントリーが一斉に始まる。
友達は50社エントリーしたと行っていた。一般的に100社くらいエントリーするのが普通らしい。
一方私はというと、エントリーしたのは3社のみ。
それでも、業界を絞り、その企業にかける思いが強い方が、就活で勝利しやすいと思っていた。
3月中旬、冬のインターンに参加した中小企業から一件のメールが入った。
「インターンに参加してくださった方から優先的に選考を始めます。」
こんなにすんなりと選考が決まるものなのか。会社説明会にも行っていないのに、面接に行っていいのか。そんな不安を持ちながらも、やっぱりな、引く手数多なのだ、とふわふわしていた。阿保だ。
一次選考はグループ面接だった。
私以外の人たちは、異様に緊張していて、何を言っているのか聞いていてもさっぱりわからなかった。逆に冷静になれた。
二次選考は個人面接。
面接の前に、見学会があった。私を含め4人の就活生が、人事に媚を売りながら職場見学をした。
この選考で、私の伸びに伸びまくった天狗の鼻はへし折られることになる。
二次選考に集まった人たちは、優秀な国立大学を出て、院まで進んだ、頭のいい方たちばかりだった。その段階でものすごく劣等感を感じた。
そして面接では、その劣等感を隠しきれず、
「稼いだアルバイト代何に使ってる?」
という質問に
「食費です。」
と答えるくらい動揺していた。
挙げ句、私の大学名を見て、学費高いでしょ?親さん大変だね、ご両親に感謝してる?などと言われた。初めて会ったおっさんに。
高校生の私には大学で勉強したいことがあった。
勉強は得意ではなかったが、どうしてもその思いが捨てきれなかったため、理系だが私立大学に進学させてもらった。奨学金も借りており、学費がどれほどかかるのかも把握している。だからこそ、両親には感謝しているし、勉強してきたことを活かして社会で働きたいと思ったから御社を志望したのだ。
私はその面接官に嫌悪感しか抱かなかった。
そして自分の思いが全く伝わらないことが本当に悔しかった。
私の初めての選考は呆気なく終わった。
御社はありがたいことに、選考結果が1ヶ月サイレントだった。だから大して傷つくことなく、次がんばろと思うことができた。それに本命ではなかった。だから思いが伝わらなかったんだな、と思った。
まだ就活がはじまって1ヶ月。
むしろ頑張らなきゃいけないのはこれからだ。
いい経験ができた。とさえ思っていた。
そして、足を止めることなく、次の選考へ向かった。冬のインターンに参加した御社である。
ここから同じ業界の御社を3社受ける。
御社はとにかく規模がでかかった。
大企業というわけではないが、それ相応にライバルはいた。そして御社も、就活生の扱いがこれでもかというほど上手かった。
1次試験、グループ面接。
6人程度だった。まあ余裕だった。普通に通過。
そして2次試験、個人面接。
どんなことを聞かれた、どんな雰囲気だった、と面接終わりの就活生から聞こえてきたおかげで、緊張せずに話すことができた。
3次試験、1:2の個人面接。
面接官は笑顔だった。雰囲気も悪くなかった。
でも、予想外の質問が来た。
「もし職場に嫌いな人がいたらどうしますか?」
…嫌いな人?
え、職場に嫌いな人がいる前提ではなせと…?
頭おかしいんじゃね…?
と思った。
結局なんて言ったのかはっきりと覚えていないが、おそらくそれが原因で落ちた。それが4月下旬。呆気なく一通のお祈りメールで御社との付き合いは終了した。
その後もう一社同じ業界を受けだが、そこは一次で落とされた。面接が1時間あったのでとにかく疲れ果て、最後の方何を話したか覚えていない。
1時間もようわからん質問攻めしてきた割に呆気なく落とされるとしょうがないんだけど全く納得できなかった。
内定なんてすぐ取れると思っていた3月の自分を殴りたかった。落とされに落とされまくり、手持ちは1つ。メンタルはぼろぼろ。歩いていても電車に乗っていても、学食でお昼ご飯を食べていても自然と泣けてくる。たった1回の面接で、15分の面接で、不必要だと言われることは本当に辛かった。自分の価値を疑った。案外、自分が必要とされていないことにも気がついた。
幸い、私の両親は献身的に私を支えてくれた。
決して反対することなく、親身に相談に乗ってくれたこともあり、なんでも話せたし、内定はなくても責められることなんて絶対なかった。むしろ、大丈夫。って声をかけてくれた。
でもある日、糸が切れた。
覚えていないが、なにかのひと言で張っていた糸が切れた。
過呼吸になって泣いた。
先の見えない不安と、自分の価値を見失いそうになる虚しさに泣けた。
そして、就活は、自分の力で頑張るしかないということに気がついた。
誰に相談しようが、誰にすがろうが、泣こうが喚こうが、企業は内定をくれない。
自分の足で這い蹲り、必死にもがくしかないのだ。
その後何度か会社説明会に行ったが、志望する業界以外行く気になれなかった。嘘偽りで御社が第一志望ですというのも、精神が削られるようで嫌だった。
それから最後の一社にかけるべく必死で対策した。
そもそも私は当たり前のことしか言わない就活支援センターの人が嫌いだったが、何度も就活支援の人に面接練習をしてもらい、ものすごく嫌だったがその音声を録音して聞き、自分の癖を自覚した。
御社専用の就活ノートを作り、聞かれるかもしれないあらゆる質問に対して対策を行った。御社のことも調べに調べ尽くし、四六時中御社のことを考えていた。
ある土曜日に就活支援に行った。
本来面談時間は30分だが、1時間かけて面接練習をし、フィードバックをし、アドバイスをくれた若手のスタッフがいた。とても救われた。涙が出た。
面接練習を担当してくれたスタッフには
今まで見た就活生で1番いい面接をする人に出会ったといってもらえた。自分の価値を改めて認めるきっかけになった。
友人も両親も、気遣ってくれた。
人の温かさをものすごく感じた。
6月中旬、最後の御社から内定が出た。
内定が出たというと、いろんな人が喜んでくれる。案外私はいろんな人に支えられていたんだなと思うと同時に、心配をかけていたんだなとも思った。
内定が出た今、思うことがある。
私は必要以上に周りに支えられ、温かい人に囲まれていたのだということ。
そして、背伸びをするより、等身大の自分を受け入れてくれる御社を探すことがいかに大事かということ。
そのために、何社もエントリーし、訪問し、話をすることが大切であるということ。
どんな時も視野を広げて
自分の物差しで判断しないこと。
1年にも2年にも感じたが
たった3ヶ月の就活人生。
終わってみると結構あっという間だったが、この3ヶ月で本当に成長できたと思う。
私は理系なので、内定が出るのが遅い方だったし、1社受けて受かったら就活を終えていた友人も何人かいた。そういう人たちを見るたび、不安になり自分を追い込んで苦しんでいたが、私は落ちてよかった、と思っている。じゃないとこんなに苦しむことがなかったから。そしてその反動でこんなに成長することができなかったから。
たしかに内定がないと怖いし、不安だし、メンタルグラグラで毎日この先どうしようって思ってしまう。
でも確実に、成長できていることを忘れないでほしい。
そして、支えてくれる人たちを大切にしてほしい。
きっと、その人たちが、この先の人生を支えてくれる大切な人たちだよ、と思う。
もちろんここで終わりだと思っていない。
社会に出たらきっと、辛いことも嫌なこともいくらでもあると思う。そういうことから逃げずに、少しずつでもいいから成長していきたいと思う。
たった3ヶ月の就活人生で私が成長した話。