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付き合って3年目になる彼氏がいる
会社の同期。
お互い異動があって、4月から同じ場所で働くようになった。
慣れない環境、仕事への不安、心身共に疲れ切ってしまっていた。
疲れた時、辛い時に、そばにいてほしい私。
疲れた時、辛い時に、そっとしておいてほしい彼。
完全にすれ違ってしまった。
あまりにも連絡がない、会おうともしないその姿勢に、自分自身も余裕がなかった私は、強く当たってしまった。
私は、彼と結婚すると思ってた。
25歳、いつ結婚してもおかしくない歳になってきた。
結婚を考えるなら、相手も考えなきゃいけない。
すれ違ってしまったことで、この人とずっといっしょにいれるのか、また居ていいのか、
すごく不安に思うことが増えた。
暇があればネットで
「彼氏 返信ない 別れ」
とか
「倦怠期 乗り越え方」
とか調べて
調べてどうにかなるもんじゃないのに
調べて調べて、不安になって
心が苦しくなっていって。
そんな気持ちとは裏腹に、私のことを「メンヘラ」と言ってくる彼。
真逆にはしる気持ち
遊びに誘っても何度も断られて心がつらかった。私はどうでもいい存在なのか、本当に彼女なのか、彼女として扱われているのか、大切にされているのか、
我慢しても抑えきれない思いが溢れてしまい、彼はそのわたしの重い「想い」に耐えられなくなったようだ
私とこのままいっしょにいていいのかと悩む方もあるといった。
他に女がたくさんいれば、もう別れているみたいなことも言った。
私じゃなくても、いいんだね
とにかく、距離を取ろうと思った。
極端にではなくて
返信がなければないでそれでいい
誘いに断られればそれはそれでいい
もっと自分の時間を大切にしようと思った
わたしはいつから「彼」がいないと生活できないようになってしまったんだろう。
自分ひとりで生きていける
そう思ったから前の彼氏と別れたのに。
これじゃ結局なんも変わってない。
仕事も辛いし、趣味のバスケもオフシーズンで、楽しみがなくて、
普通の生活が送れてなかったような気がする。
今は、とにかく、普通の生活を送れるようになろう。
その「普通の生活」の先に、彼がまだいてくれたらいいな。
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社会人2年目も、終わりを迎えようとしている。
2022年4月、かつて思い描いていた営農指導員としての生活が始まろうとしている。
2020年4月、社会人生活1年目
右も左もわからないまま、現場に飛び込み、とにかく空気を読み、そこから学び、習得していく毎日
半年で先輩が産休に入り、担当が変更になる
また、新しいことにぶつかる毎日
そんななか、異動の内示
社会人1年目、約10ヶ月で異動になった。
部署が変わってからは、また新しい環境に慣れていかないといけないという心の負担と、圧倒的に多い業務の量について行くのに必死だった
やってもやっても終わらず、21時退社は当たり前、休日出勤も余儀なくされる日々
間違いなくこの2年間の中で1番辛かった。
そんななか、社会人1年目の3月、内示をもらい、2021年4月、入社するときに希望していた部署に配属になる
しかし、異動、退職が重なり、異常な人事異動であったが故、内示が出たものの、すぐに異動することはできなかった。結局、私が今の部署に異動したのは、内示が出た2ヶ月の6月だった。
希望だったとはいえど、また新しい環境で、ストレスを感じる日々。(入社面接では希望していたが、入社してから希望と言ったことは一度もないし、異動願いを出した覚えがないのに、異動になったあたり、社会の闇を感じる)
全く新しい業務で、戸惑いながらも、前部署よりかは楽になり、ここからまた頑張ろうと思えた。
その矢先に、先輩の妊娠が分かり、12月に産休に入った。
私が実際に業務をしたのは6月から12月の約半年。その半年でほとんどの業務を引き継ぎ、先輩は産休に入った。
このときもまた、自分しかいないことへのプレッシャーと、ミスをしてはいけないという責任感で押しつぶされそうだった。
けれども、必死に理解して、覚えて、できるようになって、日々多忙ながらも、少しずつ理解して、できるようになってきたことに、少し充実感を感じたことを覚えている
2022年3月、人事異動の内示で、営農指導員に命じられた。突然の内示。この時もまた、異動願いなど一切出してないので、本当に社会の闇を感じた。
わたしは入社してから今日まで、いろんなことを経験してきた。
いろんな業務に携わる中で、共通して心掛けていたのは、お客様の迷惑になるミス、トラブルを起こさないこと。不安なことは全て確認すること、根拠のないことは絶対にしないこと。正確な事務、接客をするために勉強し、理解することで、これまでの社会人生活を生き抜いて来た。
ただ、社会というのはそうやって努力できるひとを無碍に扱うものだということも学んだ。
結局、会社のため、組織のために、必死になってくれる人が都合がいいし、責任感が強い人ほど損をするようになっているのだと私は思う。
いくら頑張っても同期と給料は変わらないし、多少のミスをしても簡単に左遷されない守られた社会なのにね
新しい環境というのは非常にストレスで
なにをしたらいいのかわからないところから、また築いていかないといけないのは本当に、、本当に辛い
この2年間、約半年のスパンでそれをやってきて、心の底から思う。
またこれが、みんな同じように半年で部署異動があれば、話は別だけども、そういうわけではないところが納得いかないポイントのひとつでもある気がする
できるひとが損をする世界なんだと思う
自分で言うのは正解ではないと思うけど、敢えて言う。
社交的な人、努力できる人、頭の回転が速い人、上司に連絡報告相談ができる人
そう言う人が、いいように使われ、振り回され、いい駒としてぐるんぐるんに引っ掻き回されるというのを身をもって体感した。
とにかく、かつて思い描いていたなりたかった自分というのには、なれそうにもないけども、また一から、新しい環境で、知識や人間関係を築いていかないといけない。
こんな、人材を大切にしてくれない会社、早く辞めた方がいいんじゃないか。
とりあえず安定して給料払っとけばいいとおもうなよ
と、心の声
ただ、給料貰わないと生きていけないので
ここ以上では言えません。
また新しい環境か。
そして、未だかつてない女性の営農指導員として、前例のない中でどうやってはたらいていこうか。
いつ、ギブアップするかな
これまた試されてんのかな
なぜまたここに記録を残そうかと思ったかというと、今回の内示をうけて、私の社会人生活が異様だったことと、愚痴を吐いて頭を整理しないと、職場で文句ばっかり言ってしまうから
これまた使えないひとばっかりだから(普通に失礼)余計に困る。この人に頼めば絶対大丈夫、というひとがいない。
というのを職場で言ってしまうので(ほんとに失礼)こうやって愚痴を吐いて頭を整理することも大切なのかなと、、
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この4年間でいちばん辛くて、大きな存在だった工作教室野バイトが終わった。
きっかけは大学1年の冬。前のバイト先で男関係で揉めて、どうしてもやめなくてはいけなくなってしまい、精神的に追い詰められて、ずっと部屋に引きこもっていたとき、お兄ちゃんの紹介で始めた。
当時は、お兄ちゃんの紹介だし、断れなくて、バイトもないしまあやるかくらいの気持ちで入った。
それからたくさんの人に出会って、何回も失敗して罵倒されて、それでも子供たちの純粋な顔を見て、笑顔を見て、先生ー!って近寄ってきてくれる子たちが可愛くて、
できることが増えて、頼られることも増えたのと同時に、批判されることも増えて
大切にしてくれてた社員の人が辞めて
何度も辞めようと思った。
だけどここまで続けてこれたのは、確実にやりがいを感じていたからだし、なにより自分が成長できていることを実感していたからだった。
退職の今日。ずっとお世話になってきた社員の人と話す機会があった。
私が入るきっかけになった出来事を初めて聞いた。
私がいちばん最初のバイト先を辞めたとき
本当に精神的に不安定で、家から出れず、起きれば涙しか出てこないみたいな日々で
そんな姿を見た兄が、心配して、どうにかしてあげて欲しいって、いれてくれたらしい。
知らなかった。
あんなに嫌われてると思ってたのに
そして、みんな優しくしてくれてたのは、そういう兄の采配があったからだと知った。
とても泣けた。
今でこそ仲良いけど、昔はとてつもなく仲が悪くて、だけどそうやって考えてくれてたのは本当に嬉しかった。
他のメンバーも、先輩も、そうやって私のことを見守ってくれて、精神的に強くなるまで、成長させてくれて、すごくすごく幸せだったなと思った。
そういう人たちに恵まれてここまでやってこれてよかったなと、心から思う。
そして、そういう人たちをずっと大切にしていきたいとも思う。
こういう気持ちになるのも今日までにしよう。
明日からあと3日は、思う存分楽しんで
社会人として背筋伸ばして、上を目指して頑張ろうと思う。
たのしかったな。子供たちといっしょに仕事ができて。素敵な環境だったなあ。
ありがとうしかないなあ
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大学を卒業した。社会人まであと1週間。
この前友達とランチしてたら、最近元に戻ってきたよねって言われた。最近は落ち込むことがあっても極度に病むことがなくて、それが普通になってきたけど、1.2年前の私は相当しんどそうにみえたらしい。
半年以上前に付き合っていた人のTwitterをたまたま見てしまった。普通に出会ってたら付き合わなかっただろう人。別れたのを機にSNS関係は全部ブロック解除してたので目にすることはなかったのだけど、たまたま見てしまった。
病み系アイドルの追っかけをしていた。
名前を調べたら
通称「悲劇のヒロイン症候群」
らしい。
よく自分と同じ状況の人を好きになるとかいうけど、まさにその通りだった。
怖いとか通り過ぎて笑いしか起きなかった。
私が病みそうだったので、そっとたばこに火をつけた。自分を客観視したいときはいつもたばこを吸う。疲れたとき、ストレスが溜まったとき、その状況を客観視するときはいつも。
そして客観視しながら思った。そんな人と付き合ってた自分が異常だったと思えるようになってよかったと。
世の中、嫌なことも辛いことも見ようと思えばたくさんある。そんな状況に置かれてる自分がなんともかわいそうで、かわいそうだけど誰からもかわいそうだと思ってもらえない、=誰も自分の味方をしてもらえない。となると、辛くなってしまう。
だけど逆に自分のいいように捉えようと思えば世の中いいことだらけだとも思う。周りにいる人がみんないい人だと思えば、自然とそういう環境になってる。
社会人1年目として心がけようと思っているのはそういうこと。全部自分のいいように捉えて、解釈して、私なりのスタイルで「社会人」を築いていこうってこと。
そしてなにより、友達を大事にしたい。
私の沈んでいた時期を見守って、ここまでくる過程を見捨てずに、戻ってきた私に「おかえり」っていってくれる人たちを大切にしたい。
どれだけ状況が辛くても、会ったら馬鹿みたいに笑って、愚痴言い合って、現実になるかはわからない未来の話をできることって、本当に必要。心の健康を保つ上で必要。
そうやって周りの人を大事にできたら、きっとちゃんとしたパートナーに出会えると思う。
私の良さに気づいてくれる人は、沢山いると思う。今までも沢山いた。だけど、付き合う上で自分の気持ちを優先したり、相手を大事にできないことは何度もあった。これからは周りの人を大事にしたいと思う。それが必然的に自分を大事にすることにつながると思うから。
まあなにが言いたいかって、はやくたばこをやめたいが、辞めるつもりはないというこの矛盾をどう説明しようか、明日から考えようと思うってことかな。(?)笑
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卒業論文を提出した。大学を卒業する。
生物学を学びたくて今の大学に入った。
元々植物が好きで、中学で園芸部員をやってから花とか野菜を育てる魅力を知った。高校で科学部に入って研究することの楽しさを知った。大学に入ってもっと専門的に生物学、植物学を学びたいと思ったし、何より研究がしたいと思った。
生憎頭が悪いので大学は科学部の成績を使って推薦で受けた。秋には信州大学のAO入試最終選考があったがあっけなく落ちた。地元の私立を推薦で受けて、今の大学に入った。
大学なんてどこもそうなのか、はたまた私の大学の偏差値が低いからなのかはわからないが、授業に出るのがだるい、単位取れればなんでもいい、テストなんてカンニングペーパー当たり前、教養の授業はうるさいなんて日常茶飯事、頑張ってるの、ださくね?授業いちばん前で受けるの?意識高w
みたいな大学生ばっかりだった。
わたしが大学に入ってはじめて友達になった子がまさにそんな感じの子だった。
いや、大学に何しに来とんねん。学費よ、学費
学費いくらやと思ってらっしゃる?
みたいにずっと思ってた。
だけど、言えなかったし、わたしそれに合わせることしかできなかった。染まりかけた、というか染まった年もあったのかもしれない。
授業?最低限出ればいいよねw とか
授業真面目に聞くの怠くね? とか
馬鹿みたいなことを言ってたときもあったかもしれない。いや、あったな。
でも、やっぱり興味があることを勉強できるのはとっても楽しくて、こっそり図書館で勉強したり、ひとりで授業取ったりしてた。
大学3年の秋、研究室配属になるとき、私はどうしてもちゃんと研究ができる研究室に行きたかった。研究室が10も超えると、文献調査で卒論が認められる研究室も結構あるから。
だけどなんせ成績がよくないもので、結構賭けて第二志望に書いた研究室が、運よく通った今の研究室である。
本当に運が良く、ひとりひとつのテーマを自由に選べた。私はどうしても高校で研究したテーマと関連させた卒業研究をしたかった。先生に話したら、ぜひ実現させましょう!と。本当にいい先生に出会えた。
そのほかにも新歓、忘年会の幹事も任せて貰えて、とっても信頼してくれていたと思う。ありがたいな。
今回、もちろんこの数ヶ月での卒論は、世界的にものっすごい研究結果が残せたわけではない。むしろ結果は全くうまく出なかった。だけど私は、自分で好きなように実験ができたこと、大学の施設を大いに使って、本当に自由に、研究ができたことに心から満足していた。卒論もきつかったけど、描いてたらあっという間に時間が過ぎていった。
研究室でいちばんに合格をもらい、卒論発表ではいちばんよかった発表だったと絶賛して貰えた。
ああ、頑張ってきてよかったなってほんとうに心の底から思った。泣きそうになった。
好きなこと勉強したい、研究がしたいって思いを、何回も捨てそうになったし、僻まれて妬まれて、馬鹿にされて、本当にそちらの世界に行こうと思ったこともあったけど、自分の信念を曲げずに頑張ってきてよかったなと。そして、見ている人は見ているし、認めてくれる人は認めてくれるんだなと思った。
就職はネクストステップだと思う。
がむしゃらに頑張るってめっちゃかっこいいこと。頑張るってださいじゃんwっていってるやつがいちばんダサい。そんな声も、妬みも嫌味も全部くそくらえだ。
こうやって頑張れる私はきっと強い。
大学入ってよかったなあ。
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就職先のバイトは2ヶ月で辞めた。
制服をクリーニングしたので返しに行かなければならない。
しかもついていないことに最終日店長に挨拶ができなかった。店長に挨拶をしにいかなければいけない。
私はこういうとき、礼儀を曖昧にできない人間である。なんでもお伺いを立てて、丁重に電話してアポイントを取る。
ものっすごい嫌だったけど、最近つくづく思う社会のホウレンソウの大事さを思い返し、自分を奮い立たせて電話をした。
勇気を振り絞ったのに結構な勢いで軽くあしらわれた。
そんな丁寧に連絡しなくていいって言われた
丁寧に連絡した相手に言うな!
つくづくこの人とは合わないなと思った。
人生の中でほんとに合わない人っているんだなあ
こんなところで就職できるのだろうか
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子供向けイベントのスタッフをはじめて約3年。
辞めなくて仕方なかったこの仕事も、今年で卒業を迎える。
3年前、当時のバイトを急に辞めなきゃいけなくなったこと、兄に勧められて断れなかったこともあり本当に軽い気持ちで始めた。
子供の相手は楽しくもあり、同時にとても難しかった。けど、一生懸命に頑張る姿を見るのはとてもやりがいがあったし、子供の純粋な姿を見るのはとてもいい影響だった。
はやくスタッフとして一人前になりたい、私が私なりに活躍できる人材になりたい。ほんとにその一心だった。
何回もイベントで失敗したし、怒られたし、
ポジションがなくなって
もう本当に心から行きたくないと思うことは何回もあった。
だけど辞められなかったのは、私がその中で成長しているのを感じられたからだった。
少しずつ大人になっていく過程を、私はこのバイトと共に過ごした。
この3年でイベント運営はかなり変わった。人も変わった。時代は変わる。きっとずっと同じようにやっていくことはできない。
もちろん、スタッフも変わる。
見て学んで、考えて動ける人材は珍しい。
そこらかしこにいない。
だからこそ、運営はスタッフを大事にしなきゃいけない。
卒業を手前にして、私はこのまま自分が見て見ぬ振りをして卒業していくのが虚しくなった。
散々嫌な想いをしたから、もうはやく卒業したかったけど、このままあっけなく卒業したら、私の3年ってなんだったんだろうなって。
そうだよね。
だから私は動くことにした。
少しでも傷跡を残して辞めるために。
誰のためでもなく、これは自分のために。